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フレスコジクレー大判プリントを承ります

フレスコジクレーとは、かつてのフレスコ画の技法と同様、メディウムを使わずに炭酸カルシウムの層の中に顔料を閉じ込める手法で制作されます。そのため落ち着きながらも美しい発色、他のインクジェットプリントでは絶対に得られない立体感、現存するプリント方法のうちでも最も長い長期色保存性、耐かび特性、耐湿性に優れたインクジェットプリンタ専用紙です。フレスコジクレーによるプリントサービスは日本ではまだ数が少なく、弊社はフレスコジクレーの発売以前からその検証と開発に関わってきており、取り扱いに精通しています。

フレスコジクレーについてもっと詳しく知りたい方はこちらへ *フレスコジクレーは株式会社FLトクヤマの製品です

プリント料金

プリント料金 

フレスコジクレ—のロール製造中止に伴い大判プリントの制作はいったん休止とさせていただきます。
いずれ、近い将来に何かの形で再開したいとは考えておりますのでご期待ください。

長期に渡る変化のない色調、太陽光など直射する光に当たると醸し出す素晴らしい立体感。
大変魅力的な素材ですので、再登場できるように努めて参ります。

これまでのご愛顧ありがとうございました。 

 

作例

羽田空港国内線第1旅客ターミナル、大正大学さざえ堂などパブリックアートとして展示されている現物をご覧いただくことのできる場所をご紹介します。もちろん弊社でもご覧いただけます。

羽田空港国内線第1旅客ターミナル

羽田空港国内線第1旅客ターミナル2F 出発ロビーの壁面(出発カウンターの上) に6点のパブリックアート、千住博画伯の「往く雲」シリーズが展示されています。(北ウィングと南ウィングに3点ずつ展示)

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高さ4.5m 幅6.5mの巨大なパネルです。縦13,400pixel×横20,000pixel、総画素数2億8千万画素のデータをフレスコジクレーにプリントしました。

この作品に当たる太陽光の移り変わる様子をタイムラプスで撮影してみました。少しだけ羽田の雰囲気をお楽しみ下さい。
羽田空港をご利用の際には、空や飛行機だけでなくロビーの壁面も眺めてみて下さい。「往く雲」以外にも千住博画伯の本画やパブリックアートが数多く展示されています。

この動画は音楽が含まれていますのでご注意下さい。 

大正大学さざえ堂

巣鴨地蔵尊のもう少し北西に位置する大正大学に、通称「さざえ堂」が2013年の春に完成しました。内部は千住博画伯が描いたアート作品で埋め尽くされています。

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「さざえ堂」内部は二重螺旋階段の構造になっていて、登っていく階段には大きな窓に設置された「Falling Color」がステンドグラスのように内部を照らします。日が暮れると内部の照明で行灯のように暗闇にぽんわかと浮かび上がります。

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登り切ったところにはグレーの「Waterfall」が天上界のように設置され、その前に観音様がいらっしゃいます。階段を下りるときは梵字が迎えてくれます。
弊社は原画の撮影、フレスコジクレーのプリントなどを担当しました。最上階の「Waterfall」はフレスコジクレー、ステンドグラスは富士フイルムグラフィックシステムズ株式会社のUVプリンタで出力しています。

見学自由ですのでお近くにおいでの折にはぜひお立ち寄り下さい。
拝観料は無料。拝観時間は、午前9時〜午後5時(日祝日は午後4時まで)
大正大学さざえ堂ホームページ

回向院 新念仏堂

回向院に新しく建立された新念仏堂2階のふすま絵をフレスコジクレーで制作しました。千住氏の作品をパネル1枚につき上下2分割で撮影。撮影に使ったカメラは H4DII50MSで、マルチショットという技術を使い、全ての画素に真正のデータを有し、きわめて精細な5000万画素の写真を撮影することができます。

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 この画像を2×9=18枚タイリングして高さ19,315pixel 幅136,077pixel 180dpiで出力すると、原画とほぼ同じ寸法の高さ2.7mになります。なんと画素数は約26億となり、当時(2009年頃)のMac Proでオープンするのに30分もかかりました。

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繋げた画像をフレスコ・ジークレでプリントするため、再度短冊状に切り出し、幅約90cmで57面…高さ2.7m総延長約48mという膨大な量のプリントを出力しました。回向院でご法要などの機会がある方は、是非このふすま絵を鑑賞して下さい。普段は…入室不可かと思います。

※墨田区隅田川のほとりに立つ諸宗山 回向院は、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火で亡くなられた人々の多くが身元や身寄りのわからない人々であっため、当時の将軍家綱が亡骸を手厚く葬るようにと、隅田川の東岸、当院の現在地に「万人塚」という墳墓を設けて大法要を執り行い、御堂が建てられたのが歴史の始まりだそうです。その後あらゆる宗派だけでなく人・動物すべての生あるものを供養するという理念から、ペットのお墓も多数あるそうです。